みどころ 山梔窩 嘉永5年~文久2年(1852~1862)、勤王家[真木和泉守保臣]が謹慎生活を過ごした家です。「山梔」とは「くちなし」のことで、藩政に口を出したため蟄居を命じられたことから、以後何も言わないという意味が込められています。山梔窩は昭和43年(1968)、筑後郷土史研究会・ 山梔窩保存会により現在地に移築・復元なされ、県指定史跡となっています。 筑後市水田242-1 山梔窩 こちらもおすすめ 水田天満宮 恋木神社 筑後市郷土資料館 水田公園